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麻布十番について
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十番だより 平成18年11月号 5頁
十番だよりINDEX
平成18年11月1日発行 麻布十番商店街振興組合広報部
副編集長が聞く!
-シリーズ《十番ルネッサンス》その2-
 麻布十番商店街は、長い歴史と伝統を持っています。
 しかしながら、もし「伝統がある」というだけで満足してしまえば、時代に取り残されることになるでしょう。”伝統“とは、常に”今“と言う一瞬と無関係ではいられないからです。
 いつまでも愛されて、必要とされる商店街であり続けるために、今、何ができるのか。
 このシリーズでは、各方面の識者にお話を伺い、麻布十番の歴史を振り返ると共に現在を見つめ、さらに未来を考えて行きたいと願っています。
 ご意見をお持ちの方、そして紙面に登場して下さる方を募集しています。自薦・他薦を問いません。ぜひ広報部までご一報下さい。
第1章
「麻布」という地域②
 前回に引き続き、広報部の嶋田さん((有)崇文堂書店専務取締役)にご登場いただきました。
 今回は、「大江戸八百八町」の中で麻布十番がどのような位置付けで発展して来たのか、そのあらましにふれてみたいと思います。

初期の江戸略図
『文久元年(1861年)ころの麻布周辺』

現在の東京は、我が国の政治・経済・文化の中心であるばかりでなく、世界でも有数の大都市として益々の成長を続けていますが、その歴史の原点は、どこにあったのでしょうか。
それは、徳川家康が当時の江戸を所領地に定めたことだと言えると思います。
その頃の江戸は、どんな所だったのでしょう。
例えば、人口はどれくらいだったのでしょうか。
正確には知りませんが、徳川家康が初めてやって来た時、民家はわずか100軒ほどあるだけだったと聞いたことがあります。江戸は、江戸城を中心として計画的に創り上げられた都市だったと言えるようです。
創られた都市ですか?
そうです。しかも、江戸は単に海に臨む低地を選んで創られただけではなく、湿地や海を埋め立てて建設されたのです。一説では江戸は「江の門(えのと)」を語源としていると言われています。つまり、「入江の入り口」ですね。家康が江戸城に入った時、お城のすぐ南東にまで「日比谷入江」が入り込んでいて、その東には「江戸前島」と呼ばれる半島があり、その更に東には「江戸湊」という入江があったようです。都市を建設するには、海を埋め立てることが不可欠だったのです。
いったいなぜ、そのような立地を選んだのでしょうか。
最大の理由は、「水路の活用」を目指したことだと言えると思います。いろんな文献を調べてみますと、家康は最初に「道三堀」を作って、江戸城築城のための物資運搬に使ったようです(図を参照)。
 そして現在の御茶ノ水付近にあった「神田山」を崩し、その土砂で「日比谷入江」を埋め立て、日本橋・京橋・銀座などの下町一帯を建設していった。その下町では、自然の河川を生かして堀を巡らせ、運河として水運に利用したわけです。
壮大な都市計画を実現するためには、むしろ好都合の立地だったわけですね。そして、城下町は江戸城を中心として、膨張するように拡大して行った。
そうですね。参勤交代の制度が生まれると、大名の屋敷も上屋敷・中屋敷・下屋敷に分けられ、上屋敷には大名やその妻子が住み、中屋敷には隠居した藩主や跡継ぎが暮らすことが多く、下屋敷は火事が多かった江戸での避難所兼別荘として、郊外に建てられることが多かったようです。
先ほどの日本橋・京橋・銀座などの下町には、町屋が造られたわけですね。
はい。町屋は上野・深川へと拡大して行き、下屋敷は江戸城から南西に、つまり品川・目黒から渋谷・新宿・音羽方面に広がって行った。そして、幕末の頃には、江戸城の南西は多数の大名屋敷の跡地が広がっていたわけです。
その中には、麻布も含まれていたわけですね。
むしろ、中心的な地域だったと言えます。それは、日本にある各国大使館の位置を調べると一目瞭然に理解出来るのですが、それらは見事なまでに麻布周辺に集中しています。南麻布・元麻布・西麻布・麻布十番・広尾・南青山あたり一帯、すなわち山手の南半分に、大多数の大使館が集まっているのです。
何か理由があるのでしょうか。
明治維新後、新政府は大名屋敷の跡地を有効利用するため、外国公館・新政府高官の邸宅・新興財閥の邸宅などに転用したのですが、その際に、警備の都合もあって、狭い範囲にそれらを集める方針を採ったと言われています。
水利に恵まれた低地であり、しかも山手台地が低地に移る境目でもある麻布周辺は、前回も話題に上ったように、自然の要衝としての素質にも恵まれていたと言えるのですね。
その通りです。そして、そのような歴史上の事実が、麻布という地域の特殊性、つまり「山手の南半分の中心に位置する品格の高さと、下町の粋な味わい深さとの両面を併せ持つ」を裏付けていると言えるのです。
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