| Q |
転載した写真の説明文によると、それらのマーケットは十番通り中程の四つ角を中心とする北側に設けられたもののようですが、それ以外にも、前号に出て来た岩田園のように、自力で店舗を復活させた例もあったはずですね。例えば西本さんのお店(総合洋品ニシモト)は、どうされたのでしょうか? |
| A |
うちの場合は、昭和21年に自力で建設して、再開にこぎつけました。そのような例は、他にもあったと思いますし、マーケットは、十番通りのもっと一の橋寄りにも8~10軒ほど建設されたと聞いています。もっとも私はまだ赤ん坊でしたから、自分のところも含めて、当時の様子は全く記憶していないんです。 |
| Q |
では、「国民酒場」のことも? |
| A |
残念ながら(?)もちろん、覚えていません。後になって、聞いたことはありましたけど。せっかくですから、資料から引用しておきましょう。
『マーケットバラックが出来るのと前後して、ヨシズばりの間口五間程の国民酒場が商組の焼跡(現東京電力営業所)に開かれた。ジョッキ一杯が五円位。入口で料金を払い、札をもらって中で飲む。もっと飲みたい人は、また入口に並ぶといった具合に何杯でも飲めた。国民酒場は当時の酒呑みにとって天国であった。酒場で働いた人は阿部豊三郎氏(あべちゃん)小林長次郎氏の二人であった。あべちゃんは今は夫人が第一線で焼きとんの店で活躍され親父時代と同じく評判が良い。』 |
| Q |
何かホッとする、温もりのある光景が目に浮かぶようですね。ところで、開店したマーケットは、順調に推移したのでしょうか? |
| A |
いや、そうは行かなかったようです。何しろ商品は仕入先も不明という状況にあり、わずかな手持ちの品物を戸板に乗せておくだけで、マーケットとは名ばかりだったようです。それに、お客様も焼け残った地域(宮村町、三田小山町、富士見町の一部など)の人達だけだったわけで、商売はとても寒々しい状態だったと思われます。 |
| Q |
そのような中、復興に向けての三番目に挙げられる出来事が起きるわけですね? |
| A |
その通りです。 |
| Q |
そのお話は、次回に伺わせて戴きます。 |