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十番だより 平成19年2月号 5頁
平成19年2月1日発行 麻布十番商店街振興組合広報部
副編集長が聞く!
シリーズ《十番ルネッサンス》その5
 このシリーズでは、各方面の識者にお話を伺い、麻布十番の歴史を振り返ると共に現在を見つめ、さらに未来を考えて行きたいと願っています。
ご意見をお持ちの方、そして紙面に登場して下さる方を募集しています。自薦・他薦を問いません。ぜひ広報部までご一報下さい。
麻布十番商店街の変遷③
 今回も、『十番わがふるさと』(稲垣利吉氏著。以下「資料」と表記)を引用(文章・写真説明ともに原文のまま)しつつ、西本良一さん(総合洋品ニシモト代表取締役)のお話しを伺って行きます。
復興へのビジョン(1)対策会議
前号で最も深く印象に残ったのは、『商店街が焼け野原から復興を果たして現在の姿を整える経緯の中で、最も重要であったのが「商店街が一丸となって取り組むのが最良である」という先輩諸氏の信念・先見の明であった』と西本さんが指摘された点です。その辺りのことを、もう少し詳しくお話し戴けますか。
一面の焼け野原になった商店街が壊滅から立ち直り、さらに発展する方向に進むことが出来たのは、戦災当時の先輩方に、将来を見据えた確固たるビジョンがあったからだと考えています。
 それを示す象徴的な出来事として一番目に挙げられるのは、焼け残った工場で開催された対策会議です。
『戦前は東京市の盛り場として、新聞の人気投票でも神楽坂、新宿に次いで第三位に選ばれた十番商店街を戦後の焼け野原から復興しようと、次の人々が集まって対策会議を宮村町山水舎の焼け残り工場で開いた。
麻布十番から
 ヤマナカヤ果物店 木村 政吉
 白水堂カステラ  松浦 徳市
 洋生地ボタン   熊井紋次郎
宮村町から
 洗濯店      千野芳次郎
 山水舎ラムネ   斉藤一太郎
 シモタヤ     井上富士雄
 稲垣油店     稲垣 利吉
以上七名がそれぞれ意見を出しあった。』と、資料にありますね。
そこで話し合われた課題は ①起伏の多い丘陵地域との連帯 ②歓楽街の展開 ③国鉄との連絡線 ④住宅地をつなぐ交通の便 ⑤商店街としての区画整理等でした。注目したいのは、それらを重要な課題として認識すると同時に、戦災による壊滅はむしろ課題を実現させる絶好のチャンスでもあると捉えた、発想の前向きさです。
電柱一本さえ残っていない焼け跡で、よくぞそこまで前向きな姿勢が打ち出せましたね。
素晴らしいと思いますね。その対策会議を契機に「麻布十番地域復興会商業協同組合」が結成され、木村政吉氏が理事長となって、活動を開始されました。
復興へのビジョン(2)十番マーケット
では、二番目に挙げられる出来事は?
バラック(=急造の仮小屋)建て店舗の建設です。これは宮村町町長であった千野芳次郎氏が提唱されたもので、とにかく焼け跡に人を集めることが先決であるとの判断によるものでした。
復興への、具体的な第一歩ですね。
そうですね。計画では、間口・奥行きともに二間(約3.6m)、広さ4坪の店舗を計40戸建設すると決定し、昭和20年(1945年)10月頃に着工、翌年3月にはほぼ全店が竣工したようです。それらの店舗群は「十番マーケット」と名付けられ、詳細は判らないのですが地元優先で販売され、5月には半数が開店したとのことです。
 稲垣氏の記憶による「十番マーケット」の店舗一覧を、以下に挙げておきましょう。なお、名字は開設当時のものと思われますが、屋号等は、資料を執筆された時点における最新の記憶に基づくものと推察されます。
 『千野(クリーニング)、渡辺(パポタージュ)、稲垣(ビスコ花店)、宇佐美(不明)、吉田(ミクラヤ靴店)、音居(近江屋家具店)、斉藤(崇文堂書店)、高林(エチゴヤ洋品)、黒田(共楽社)、泉類(武蔵屋呉服店)、小沢(小沢時計店)、米沢工具(不明)、三河屋(日進畜産)、松浦(白水堂)、幡野(甲陽堂)、中村(中村屋)、永井(永井薬局)、武正(武正紙店)、小川(不明)、井上(オバタ薬局)、三村(不明)、八久保(不明)、小松(洋食パレス)、伊藤(やつめや)、渡辺(景福苑)』
十番マーケット風景 十番通り四つ角(小林玩具店前)より南山小学校方面を望んだもの。現在の酒井セトモノ店からオバタ薬局の辺りまで。左に郵便ポストが見える。 マーケットの稲垣油店 終戦後半年なので店頭に並べる商品も少ない。ポマードの看板が一番目をひく時代であった。
転載した写真の説明文によると、それらのマーケットは十番通り中程の四つ角を中心とする北側に設けられたもののようですが、それ以外にも、前号に出て来た岩田園のように、自力で店舗を復活させた例もあったはずですね。例えば西本さんのお店(総合洋品ニシモト)は、どうされたのでしょうか?
うちの場合は、昭和21年に自力で建設して、再開にこぎつけました。そのような例は、他にもあったと思いますし、マーケットは、十番通りのもっと一の橋寄りにも8~10軒ほど建設されたと聞いています。もっとも私はまだ赤ん坊でしたから、自分のところも含めて、当時の様子は全く記憶していないんです。
では、「国民酒場」のことも?
残念ながら(?)もちろん、覚えていません。後になって、聞いたことはありましたけど。せっかくですから、資料から引用しておきましょう。
『マーケットバラックが出来るのと前後して、ヨシズばりの間口五間程の国民酒場が商組の焼跡(現東京電力営業所)に開かれた。ジョッキ一杯が五円位。入口で料金を払い、札をもらって中で飲む。もっと飲みたい人は、また入口に並ぶといった具合に何杯でも飲めた。国民酒場は当時の酒呑みにとって天国であった。酒場で働いた人は阿部豊三郎氏(あべちゃん)小林長次郎氏の二人であった。あべちゃんは今は夫人が第一線で焼きとんの店で活躍され親父時代と同じく評判が良い。』
何かホッとする、温もりのある光景が目に浮かぶようですね。ところで、開店したマーケットは、順調に推移したのでしょうか?
いや、そうは行かなかったようです。何しろ商品は仕入先も不明という状況にあり、わずかな手持ちの品物を戸板に乗せておくだけで、マーケットとは名ばかりだったようです。それに、お客様も焼け残った地域(宮村町、三田小山町、富士見町の一部など)の人達だけだったわけで、商売はとても寒々しい状態だったと思われます。
そのような中、復興に向けての三番目に挙げられる出来事が起きるわけですね?
その通りです。
そのお話は、次回に伺わせて戴きます。
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