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麻布十番について
DISCOVER JUBAN 麻布十番再発見!⑩
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 身のまわりの普段何も考えることなく見過ごしていることで、あらためて見てみると何なんだろうということありませんか。今回はそんなことのひとつ「麻布一本松」を見てみました。パティオ十番からピーコックの前を通り過ぎ西に行くと大黒坂、一本松坂と続きます。その坂上に一本の松があります。石垣で囲われ御神燈と書かれた石塔、由来を刻んだ石碑もありいかにも由緒ありげな松の木です。石碑にはこう書かれています。
「江戸砂子によると天慶二年西紀939年ごろ六孫源経基 平将門を征服しての帰途此所に来り民家に宿す 宿の主粟飯を柏の葉に盛りささぐ 翌日出立の時に京家の冠装束を松の木にかけて行ったので冠の松とも云い又一本松とも云う 古樹は明治九辰年焼失に付き植継 昭和二十年四月又焼失に付き植継」
 一本松については他にもいろいろな説があります。もともと古墳であったという説や江戸初期には「首吊塚」とも呼ばれて、関が原の合戦で送られてきた首級を家康が検分し、埋めた所だというのです。また、京から来られた「松の宮」という高貴な方がここで亡くなり、介抱した小野某が衣冠と共に埋葬し、墓の目印に松を植えて冠の松と唱え、かたわらの草堂に如意輪観音像を安置して弔った。小野某の死後、観音像は長伝寺へ移したという説。その他にも小野篁が植えた、徳川家康が植えた、秋月邸の羽衣の松、など数々の説があります。
 石碑に書かれた天慶の乱(平将門の乱)を治めた源経基の冠の松説は、一本松をご神木とした麻布氷川神社の由緒ともかさなるものです。一本松がその時の松とすると樹齢千年の大木ですが、残念ながら一本松は何度か焼失し植え継がれてきたものです。石碑に書かれた明治九辰年焼失はおそらく明和九辰年の誤りではないでしょうか。明治九年は辰年ではなく子年ですし、「メイワク」大火で知られる江戸の大火は明和九年辰年(1772)です。石碑と一緒にある御神燈の横には「文化四丁卯年八月」(ぶんか四ひのとう、1807)と彫られています。
 天保五年(1834)天保七年(1836)に刊行された「江戸名所図会」に描かれた「麻布一本松」は、松のたもとに茶屋や長伝寺が描かれています。明和の大火で植え継がれて六十年にしては大木に描かれていますが、おそらく画家長谷川雪旦は伝え聞いた古木の高さ三丈六尺八寸、枝は東へ二丈、西へ二丈六尺、南へ一丈六尺、北へ一丈六尺、根回り五尺八寸という大きさを画いたのかもしれません。この図会に見られるお茶屋は「ふじ岡」、作家池波正太郎は鬼平犯科帳「麻布一本松」のなかでこの「ふじ岡」を舞台に使っています。
 一本の松の木からいろいろな物語が想像されるものですね。松の木の大きさ、丈、尺、寸と古い単位で書きましたが、メートル法に直すと……、計算してみてください。一丈は約3・03m、一丈は十尺、一尺は十寸です。
(寄稿 ローリエヤマモト 山本仁壽)
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