| Q |
さて、本題に入らせて戴きます。東京都による区画整理が徐々に進む中、商店街ではどのような動きがあったのでしょうか? |
| A |
この時期における特筆すべき内容としては、現在の商店街振興組合を築き上げるに至った理念・精神の礎が、芽を出し始めたことが挙げられると思います。 |
| Q |
戦前には「一致会」・「商交会」・「坂栄会」・「網代町通りの会」などがあって、それぞれが異なる主義・主張を唱えており、その名残が戦後も微妙な影を落としていたらしいことを、以前に採り上げましたが。 |
| A |
そうですね。戦前の十番は、都内でも有数の商店街として発展していましたが、徐々に拡大した広範な地域を統合するような、まとまりのある組織は存在しておらず、地区ごとに組合が存在して、全体としてはバラバラであったと思われます。 |
| Q |
戦災によって焼け野原になり、商店街が跡形も無く崩壊してしまったことが、組織の一元化を図り易い環境をもたらしたと考えられるのでしょうか。 |
| A |
それも一つの要因に挙げられると思いますが、大事なことは、具体的な事業を企画・実行することによって色んな問題が発生して、それらを乗り越えることによって連帯感が育まれ、一気に団結への機運が熟成されたことだと思います。 |
| Q |
その当時の〝具体的な事業?には、どのようなものがあったのでしょうか? |
| A |
一つには、「街路灯の設置」です。これは、商店街には欠かせない課題でした。その実施に際して、前述の地区間の対立や対抗意識が顕著になり、なかなか進捗しなかったようです。それを打開したのが稲垣氏であったらしく、氏の積極的な提案に対して賛同者が続出し、20名ほどの有志が集まって、実行に移したとのことです。 |
| Q |
『十番わがふるさと』には、次のように記述があります。「鳥居坂下通り、十番通りの適当な個所に五十三灯割りふる。建設費は両通りに面した全店から頭割りで徴収する。一店九百七十円。維持費も平均割で集める。会計は月番制で受持つ。建設から将来の責任は稲垣が受持つ。此の機に無尽会を作り泉類、西本、武正、榎本の四氏が世話人となる。この決定に従って一丈三尺四寸、角丸型乳白色ホヤ入百燭光を委員を作って割りふった。鳶・柴崎、澤井電気商会が建設に当り、七月二十二日夜、港区最初の街路灯が点火されたのである。」 |
| A |
そうですね。そして、その事業開始がきっかけとなって、組合による「中元福引大売出し」の開催が決定され、極めて重大な成果を挙げることになります。 |
| Q |
その〝重大な成果?が、先ほど述べられた『団結の機運が熟成された』ということでしょうか? |
| A |
その通りです。事業の企画に消極的であった組合幹部を、組合員すなわち商店主有志が動かして、実施に踏み切らせた。その決定を受けて、組合員達は組合幹部に対する全面的協力を表明し、惜しみない努力を重ねて中元大売出しを大成功に導いた。そしてそれらの経緯を通して、麻布十番全域を統合するという理念が生まれることになったということです。 |
| Q |
そして、現在の麻布十番商店街振興組合の結成に繋がったわけですね? |
| A |
流れとしてはそうですが、その時期は、もう少し先まで待つことになります。 |
| Q |
この続きは、次回以降に、よろしくお願いします。 |