懐かしさのある親しみやすい店構えの山忠は、二代に渡って愛されている麻布十番商店街の居酒屋。エリアで働く人々だけでなく、遠くから評判を聞きつけてやってくる人も少なくないこの店が、長く人を呼んでいる理由を探るべく、2代目の畠山信行さんにお話をうかがった。
―山忠の創業から信行さんが二代目になるまでの経緯を教えてください
父がここを始めたのは昭和45(1970)年で、それまでは靴のオーダー、製甲の仕事をしていたのが、大量生産が主流になって職を変えたんです。今は飲食店になった東麻布の母の実家が魚屋さんだったこともあって、そこで修行をした後、この店を始めました。
僕が継いだのは今から25年くらい前。それ以前は電機メーカーに勤めるコンピューターのプログラマーでした。OSはMS-DOSで記憶媒体なんて8インチもあって。パソコンの創成期だから日進月歩のバブルの時代でした。店を継いだのには親孝行をしようという気持が大きかったですね。
―親子二代でがらりと転職したんですね。信行さんが継いでから変わったところと変わらないところはどこですか
そうですね、座敷の席を掘りごたつ式にしました。今の時代、腰を気にする人が多いんじゃないかと考えたんです。
お客さんの層は自然に変わりましたね。母が店にいた頃は、来るのは独身の男性がほとんどで、肉じゃがや煮物などいわゆる家庭的な料理が中心だったから、そういう料理は続けています。
地下鉄ができてから地元の人よりもサラリーマンが増え、年齢層は20〜70代まで幅広くなりました。女性のグループは皆無だったのに、今は3割くらい。働く女性が当たり前の時代になったからですよね。
それと仕入れに関しては今築地のごたごたで、廃業する店が多かったり問題が色々あり、九州から直接仕入れる魚を増やしました。今、魚が高騰してて牛肉のほうが安い場合もあるんです。
―築地移転の影響は大きいんですね。長く山忠をやってきて、よかったと思うのはどんなところですか
学生の時から店を手伝っていたから、10代から色んな人を見て、色んな話を聞いて、自分とまったく違う人生経験を知って楽しかったし参考にもなりましたね。サラリーマンだけでなく自営業、自由業の人が多く、個性の強い人が多くてね。なかには仕事してないのになんでお金あるんだろ、なんて人もいた。今は面白い人がいなくなってちょっと寂しい気がします。
―麻布十番育ちの信行さんにとって、街の大きな変化はなんでしょう
やっぱり地下鉄ですね。それまでは陸の孤島っていわれていたくらいで、渋谷へ遊びに行く交通手段はバスしかないから、終バスの10(22)時前に帰らなきゃいけなかった。ある時、千葉の友達が家に泊まりに来るのに、渋滞で渋谷から1時間以上かかったんです。そしたら「こんなに時間かかるなら千葉まで帰れたな」なんて…。会社員の時も金曜の夜に会社のある田町からここまでバスで1時間以上かかることもありました。地下鉄ができてそういう心配がなくなった代わりに十番の地代が上がって、昔からのお店がなくなり、サラリーマン家庭の友達はほとんど固定資産税が上がって払えないから、家を売って引越しました。バブルの時は商店街の一番高い土地が坪一億だったんですから。リーマンショック以降は10分の1に下がりましたけど。そんな時代もありました。すっかり変わりましたね。
―そんな劇的に変化したなかで山忠の人気が続いている理由はどこにあると?
ありがたいことにね。よく続いてると自分でも思います。今あるおしゃれな店とはちょっと違うからでしょう。古民家とは言わないまでも昔懐かしいからじゃないかな。
それと地道にずーっと続けているところが信用につながっているのかもしれません。毎日築地に行き、自分の目で物を見て、新鮮なものを安くお客さんに提供することは意識してます。いいものを仕入れるのも、一朝一夕じゃできない、長い間の仕入れ先との付き合いがあるからですよね。
―麻布十番の歴史が山忠に生きてるんですね。では最後にこれからの麻布十番の街に望むことを教えてください
今は夜が騒々しくなってますよね。落ち着いた大人の街、静かなんだけれども活気があるような、そんな街になってほしい。そして駅ビルがあって、どこにでもあるチェーン店ばかりの街でなく、ちょっと前の下北沢のような、小さいけれど個性的なお店が並ぶようなのがいいですね。
山忠
手頃な価格でプロの料理が食べられると人気を呼び、なかなか入れない店と評判に。九州から直送の魚料理をはじめ、牛ハラミ焼き(800円)、のどぐろ開き(950円)など多彩なメニューが揃っている。カウンターにはその日のおすすめ料理が大皿で並ぶ。冬は1人前から鍋を注文できるのもうれしい。座敷は25名まで貸し切りが可能。
住所:港区麻布十番2-19-11
電話:03-3451-5003
営業:17:00〜23:00
無休
» 公式サイト内お店情報はこちら