麻布十番を代表するお店のひとつ「あべちゃん」。煮込み、やきとん、やきとりなど、コストパフォーマンスの良さで名前を知られ、遠方や海外のお客さんも少なくない。数年前に息子さんに代を譲ったという2代目・阿部英機さんにお店の過去と今、これからのことをきいてみた。
―麻布十番でも1,2を争う有名店あべちゃんの歴史を教えてください
阿部:埼玉出身の父が日本橋で丁稚奉公をした後、今と同じもつ焼きと煮込みの屋台を、一の橋の所に出しました。そこは当時、屋台の集まった一角があったんです。最初は高砂屋という屋号だったけど、みんなが「あべちゃん、あべちゃん」って呼んでいたので、店名もあべちゃんにして。戦争中は閉店して、戦後に「国民酒場あべちゃん」として再出発しました。当時は配給券がないとお酒が飲めなかった時代でね。昔、元麻布には旧山元町という芸者町があって、そこの旦那衆に可愛がられていたのが縁で、今の場所を手に入れて、店を出しました。
―歴史とともに場所や形態が変わったんですね。英機さんが2代目になった時は?
阿部:昭和50年(1980)に父が亡くなって、母が継いで。僕は18歳の時から店を手伝ってました。うちは6人兄弟で男3人のうち、兄はシェフになって独立してしまい、私が継ぐことになりました。本当は船員になりたかったんだけどね。弟、義理の弟(妹の旦那さん)は溜池山王と浜松町で同じ形態の店をやってます。
―お店の長い歴史を感じさせるのは、やきとりのたれの入った甕(かめ)ですが…
阿部:あー、あれは不精から始まったんです。親父は毎日あれを洗ってたんだけど、なんか私が面倒くさくて洗うのを止めてしまった。最初は怒ってた親父も、そのうち「もうほっとけ」って。40年位前、店が火事になった時もあの甕は生き残った。今は息子が外側のかたまったやつが落ちないように手入れしてます。
―あの甕はメンテナンスしているんですね!驚きです。では反対に変えたところはどこでしょう
阿部:電子レンジが普及し始めた時代に、お客さんから家で温めて食べたいという要望があってテイクアウトを始めたんですが、今は売り上げの3割ほどになってます。それから最初は内臓がほとんどだったんだけど、女性が入りにくいし、色んなお客さんに来てもらおうと、やきとりなんかを始めて、今のようになりました。
―麻布十番の街も変化しましたが、それに伴ってお店も変化はありましたか
阿部:地下鉄、特に大江戸線ができてからは人がすごく増えましたね。それまである程度の売上げを越えると、従業員に大入り袋を出してたんだけど、地下鉄ができてからはできる前の2倍くらいが当たり前になりました。 それとランチを始めたんだけど、最初は11:30時からだったけど、今は14:45からになってます。理由は、従業員が出勤してからは通しで夜までやったほうが楽だというのと、この辺りには朝の遅いクリエイティブな会社が多く、遅めのランチが求められるのに、食べられるお店がないということで。すきまですね。
―麻布十番の街に合ったランチタイムなんですね。そんな麻布十番の街への想いをきかせてください
阿部:六本木みたいにがちゃがちゃした繁華街にはなってほしくないです。風紀的に制限されているから、そういう風俗的な店ができてもすぐになくなっていくし、それがいいところ。大人の落ち着いた街になってほしい。一杯飲みに行くとしてもそれほど高くないのにこぎれいな店が多いという…そんな街に。
―落ち着いているけど物価が高くない街、いいですね。では最後にあべちゃんのこれからについてを
阿部:じつは数年前にテレビのドキュメンタリー番組に出た流れで、5年前の70歳の時に、息子に店を譲って退職金をもらったんです。ずっと海に行けるなあって思って、欲しかったヨット、中古ですよ、を買いました。それから毎週逗子です。店は今、来年高校受験の孫が。休みの時に手伝ってくれているんだけど、この子が継いでくれて、これからも継続してくれればいいなあと思ってます。
あべちゃん
上質で新鮮、ボリュームもあるメニューが大人気のあべちゃん。4つの鍋を使い、手をかけて作る煮込みは650円~、店頭でも焼いているお土産のやきとり類は一串170円~とリーズナブルなのも支持される理由。英機さんお手製のお新香もおすすめ。あべちゃん本店は長男、あべちゃん別館は次男が営んでいる。英機さんは毎年ヨットレースに出場。お店のユニフォームの青いTシャツはマリンカラーを意識しているそう。
住所:港区麻布十番2-1-1
電話:03-3451-5825
営業:14:45~22:00(L.O.)土曜・祝日~21:00
日曜休