寛政元年、江戸時代から続く長い歴史をもつ永坂更科布屋太兵衛。おそばを手繰る江戸時代のイラストを見れば、あの店、と思い当たる人も多いのでは。本店は麻布十番商店街にあり、クラシックな店構えが威厳を放っています。そこで統括マネージャーを務める田口秀雄さんは麻布十番育ちです。昭和から平成の終わりまで、店の歴史、街の歴史を見てきた方に、お店や街の移り変わりをお聞きしました。
―江戸時代に創業した永坂更科布屋太兵衛ですが、田口さんはいつ頃からこちらに?
田口:父は先代(7代目)の社長と二人三脚でこの店をやっていた職人でした。私は鉄道学校を出てから日本国有鉄道、今のJRですね、そこで車両の設計をしていて、“とき”や山手線の冷房車なんかに携わっていました。まだ新幹線ができる前のことです。その頃に父が若くして亡くなってしまいまして。車両設計の仕事に未練はありましたが、永坂更科とのせっかくの縁を切りたくなかったんで、転職したんです。今から40年ほど前でした。
―鉄道からそば屋さんは思い切った転職でしたね。麻布十番界隈にはそば店が他にもありますが、永坂更科布屋太兵衛にはどんな特徴がありますか
田口:御前そばというのはうちの登録商標で、そばの胚芽を挽いた白い粉を多く配合したものです。そば粉は北海道産、つゆのだしは鰹節のみで、厳選した2種類をブレンドしています。醤油も2社の醤油を使い、他にはない味を出しています。店では甘口と辛口の二種のつゆを出しているのも特徴です。
―商品の質の高さがうかがえます。お店を運営するうえではどんなことを心がけてますか
田口:まず味がぶれることはあってはいけませんから、その年のそばの品質などによっては、粉や水の量を変えたり、産地を変えたりすることもあります。 それからこの麻布の総本店は、年齢層が高めのお客様が中心ですから、従業員も世間話が上手にできる年代が多いです。なかには15年以上働いている人もいて、お客様の好みも把握しているので喜ばれますね。
―デパートやスーパーなどで見かけるそばつゆは知られています。発売はいつですか
田口:もう55年になります。そばつゆ発売はうちが最初。本社工場で手作業で缶に詰め、ラベルを貼って三越本店の食品売場で売ったら飛ぶように売れて。手では追いつかなくて、工場生産にしました。その後に大手が後発品を出したんです。
―田口さんは店と同じく麻布十番で育ったそうですが、当時はどんな所で、どんな遊びをしていたんしょう
田口:もちろんビルなどはなく長屋も多かったです。小学校の時から麻布十番に来て、今は店舗になった商店街の貸自転車屋で5円位で借りて、新橋とか有栖川公園などに遊びに行きました。テレビもゲームもなかったから、そのくらいしか遊びがなかったんです。小学校5年の時に東京タワーの基礎工事が始まって、つくる過程をずっと見ていましたから、完成したときはちょっと感動しましたね。
―東京タワーのつくりかたを見てきた人は貴重ですね。麻布十番の街についてはどう感じてらっしゃいますか
田口:昔からの商店は減ってますが、例えば話題のパン屋さんができたり、麻布十番を店名に冠した店ができたり、それだけステイタスがあるということですね。衣料なんかの店はなかなかここでは難しいので、こうやって飲食店が色々できて発展していけばいいんじゃないですか。商店街が頑張っていて、風俗の店がないのも安心できます。
―麻布十番は食の街の顔もあるということですね。では最後に永坂更科と田口さん自身のこれからを教えてください
田口:永坂更科布屋太兵衛は9代目も決まっているので、このまま進んでいくでしょう。私も70歳を過ぎていますけど、できる限りこの永坂更科布屋太兵衛で働きたいと思います。
趣味は色々あるんですが、Nゲージとジオラマの世界ではちょっと知られているんですよ(笑)。自宅の屋根裏部屋には縦3m 横8mの大きさに山やトンネルなどの色々なシーン作り込んでいて、まだ完成していないのでこれからそれをもっと充実させたいですね。
総本家永坂更科布屋太兵衛
名物の御前そば(992円~)とともに十割の生粉打ちそば(992円)も看板商品。2階が大宴会場で広いこともあり、大人数の法事などに使われることも多い。ランチセットもあり。土産や贈答品用には乾麺、そばつゆのほか、自家製のそば饅頭もおすすめ。田口さん作のジオラマは店のしつらえにも発見できる。
住所:港区麻布十番1-8-7
電話:03-3585-1676
営業:11:00~21:30
無休