夏は冷奴、冬は湯豆腐。お味噌汁の具材になっているかと思えば、麻婆豆腐や豆腐ステーキとして食卓に並ぶことも。料理のジャンルを問わず、四季を通じて多種多様な食べ方をされている食品、豆腐のほかにあるでしょうか。角があるけどやわらかい、豆腐の滋味深い味。生まれ育った麻布十番で、真っ正直に豆腐を作る麻布吉野屋商店の岡田弘さんにお話をお聞きしました。
―朝は何時に起きますか?
午前2時半に起きて、遅くとも午前3時半には仕事を始めています。昔は朝食に豆腐を食べたので、豆腐屋は朝が早いんです。週1日の定休日はあるけど、仕込みがあるから実際には休んでいません。完全に休むのは正月の2日間くらいです。
―昔はどこのまちにもお豆腐屋さんがありましたよね。
かつては麻布十番商店街にも、2〜3軒の豆腐屋がありましたよ。豆腐屋だけじゃない、うちの前は米屋、八百屋、牛乳屋……個人商店がたくさん軒を並べていました。
―岡田さんで4代目だと聞きましたが、いつからこちらでご商売をされているのですか。
昭和29年からですから、もうすぐ70年になります。父の代で麻布十番に店を出しまして、神宮外苑の銀杏並木のあたりにあった本店に対して「麻布吉野屋」と名乗っています。苗字は岡田なのですが、屋号は吉野屋と言います。
一番右が弘さん、一番左が弘さんのお父さん
―豆腐作りにはよい水が必要と聞きます。麻布十番にお店を出されたのは、水質がよかったからですか。
昔は井戸を使っていましたが、それはあまり関係なかったと思います。麻布十番大通りは、かつては川だったと聞いたことはありますが……。芋洗坂の上にある朝日神社が水源で、そこから川となってこちらに流れてきていたそうです。そう思ってこの辺りの地形を見てみると、坂が多くて切り立った崖のような地形は川があった名残なのでしょうね。
―麻布十番で生まれ育ち、小さい時からお店を継ぐつもりでいらしたんですか。
違うことをしたいと思っていましたね。子どもの頃は誰でもそうでしょうが、自分の家の商売が嫌でした。大学を卒業して、いったんは食品メーカーに就職しました。その後、3年間関西の事業所で営業の仕事をしてから、家業を継ぐために戻ってきました。営業の経験はよい修行になりました。今ではその経験も生かしながら、この仕事に誇りをもって取り組んでいます。
―こちらのお豆腐の特徴はどんなところにありますか。
北海道産の大豆と天然の苦汁を使って、完全無添加で作っていることです。国産の大豆は値段が張りますが味が違いますし、時代とともに機械化した部分はありますが、作り方の基本は代々伝わってきた形そのままです。正真正銘の手作りの味。そこに自信とプライドを持っています。
―豆腐作りでむずかしいのはどんなところですか。
季節、気温などによって、作る塩梅が毎日変わることですね。豆腐作りはまず大豆を水に浸してふやかすことから始まりますが、水に浸す時間が夏と冬ではまったく違います。また、大豆を絞って豆乳を作り、そこに苦汁を入れて固めたものが木綿豆腐になるわけですが、豆腐の出来を大きく左右する苦汁の打ち方もその日によって異なります。
―苦汁は打つ、と言うんですね。
入れるとは言いませんね。入れると言うとニュアンスが違う。打ち水といった表現があるように、やっぱり「打つ」のイメージですね。苦汁を打つタイミング、分量は先代のやり方を見て覚え、これまでの経験で体に染み込んだものです。母校の南山小学校で豆腐作りを教えているのですが、苦汁の分量は?と聞かれて困りました。測ったことないんですよ。教えるための豆腐作りを改めて勉強して、指導にあたっています。
―お豆腐を幅広の包丁で切るのも緊張しそうです。定規などは使わないんですよね。
使いません(笑)。目測で切りますが、集中して、さっ、さっ、とリズム感をもって包丁を動かしていきます。別のことを考えたりしていると曲がりますね。それから豆腐は角が大事だと思っていますので、角が欠けないよう気をつかって切っています。
―お店で売るだけでなく、行商スタイルでもお豆腐を売っているそうですね。
昔、麻布十番商店街には草野球チームがありまして、ある時ライバルチームに「豆腐屋がなくなるから売りに来て」と言われて、軽トラックに豆腐を積んで白金の商店街へ売りに行ったのがきっかけです。週1回ですが待っていてくれるお客さんが何人もいてくださって、その中のお一人の男性は、「日本中の豆腐を食べ歩いたが、ここの豆腐が一番うまい!」とおっしゃいます。そういう声を聞くと、励みになりますね。自分が作ったものを自分で売って、喜んでもらう。顔が見える商売っていいなと思います。
―これからもおいしいお豆腐を作ってください。
はい。残念ながら後継者がいなく、豆腐屋は私の代で終わりです。女房と2人健康に気をつけ、死ぬまで元気に仕事をしたいと思っています。
麻布吉野屋商店
麻布十番大通りを西側、六本木ヒルズの方から入ってきてすぐ左側。マンション入口にある看板が目印で、店舗はマンション奥にある。木綿豆腐230円のほか、絹ごし豆腐、焼き豆腐、おぼろ豆腐、油揚げ、生揚げ、がんもを取り揃える。その日の朝に絞った豆乳は濃厚な味わいでファンも多い。特製の吉野がんもは夏は注文販売、冬は通常販売。一個150円で、きくらげと銀杏入り。
住所:東京都港区麻布十番1-5-27
電話:03-3401-9353
営業時間:6:00~17:30
定休日:日曜、祝日、土曜日の午後