―歴史のあるお店ですね。これまでにどんなところが変わっているんでしょうか
この場所には1985年に父と開店しました。私の代になって、20年ほど前にそばを手打ちに替えたんですが、実からそばを作るようになり、使う水などの質や素材、工程にも気を配って、磨きをかけたんですね。サービスもよりよいものに少しずつ改善しました。つゆの味も自分がおいしいと感じるものが一番だから、甘さを少し減らしました。人も自分も味覚が時代で変化していて、その感覚に合わせたんです。そのおかげで売上も順調に伸びてきました。でも味を変えることを許してもらえたのは、更科創業の血筋を引く直系だったからですよね。先先代の祖母も先代の父も私の味を承認してくれたんです。
―老舗の看板に寄りかからず、変化を遂げてきたんですね。かわりそばも知られていますね
開店時から、かわりそばは店のテーマにしてました。歳時記によって、季節のものを練り込んで作るんですが、もともとうちの一門に口伝されたものを「有楽町 さらしな」の藤村和夫さんが本に残していて、それをベースにしています。ご先祖のやったことを復活させたんです。最初の内は試行錯誤ですよね、色や香りなどが好まれないものはやめて、トマトやふきのとう、ベニバナ、かぼちゃなんかは新しく作りましたね。今も研究はしています。
―堀井さんはそばを世界に広める活動もしてらっしゃいます。これまでの活動とまたこれからの展開などは?
2007年にアメリカの料理大学CIAで行われた「アジアの食」をテーマにしたカンファレンスに服部幸應先生から呼ばれて以来、2010年には日本食の紹介にアメリカへ行き、ロンドンオリンピックではレセプションパーティでTeam of Japanのメンバーとしてそばを打ってきました。東京オリンピックの招致に役立ったと、服部先生はそう言ってくれるんですよ。ロシアにも首相の一行と昨年行きました。ビジネスとしては、韓国で指導をしたそば店があり、香港では半生そばとダシをセットにしてレストランにサプライしているんですが、近々他の地でも実施する計画を進めています。また2015年に行われるミラノ万博には日本館委員の一員として協力する予定です。
―国際的な麻布十番のお店らしいですね。街に関してどんなことが印象に残っていますか。街への想いも聞かせてください
六本木ヒルズ、地下鉄、ミッドタウン、新国立美術館ができて街が変わり、それまでの肉屋さんや八百屋さんいわゆる雑貨屋さんなんかはすごく減った。地価が上がり、お店を続けるより貸した方がもうかるということで、店と生活の場所が同じという人が少なくなって。それまでのようにあ・うんの呼吸で街を作っていくことができなくなりましたね。でも街がすたれていくと、商店もダメになる。街と一緒に育っていくのが商店だと思うので、街の役に立つということを社の行動指針の中にも盛り込んでいます。
―街があって、お店があるんですね。ではお店を経営するうえで大切にしていること、また今後どんな店にしたいかを教えてください
大切にしているのは、人を大事にすること。更科 堀井の会社の理念は“あなたのそばに、いつも日本の蕎麦と口福を。”です。あなたというのはお客さんであり、業者さんであり、社員ですよね。口福というのはもちろん口に関わる幸福です。いくら儲かっても社員が不幸では意味がないし、どんなに売れても、お客さんが気分悪くなったら、それは理念に反するんです。 そして、従業員のやりがいがある組織を作っていく。具体的には従業員それぞれが自分の得意ワザを発揮できる場所にしたい。ホールが好きな社員もいれば、経理が好きな社員もいる、それぞれが力を発揮できれば、利益も生産性もあがるんです。トップが決めてそれに従う昭和型の会社でなく、サッカーチームのように、監督はフォーメーションや戦術を決めて、選手は自由に動くというような。
総本家 更級堀井
1789年創業のそば店。立川にも支店を持つ。昨年から新卒採用をスタートした。食品メーカーとのコラボメニューや監修を担当したカップそばなど、歴史を大切にしながら、新しいものを積極的に取り入れている。もり¥790、季節のかわりそば¥1000など。人気は焼き立てを供する玉子焼き(¥790)。
港区元麻布3-11-4
TEL:03-3403-3401
11:30~20:30無休
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